御味噌屋

RPG maker MVでゲーム制作してます。 素材・プラグインなんかもご紹介できたら。 いや、まずはエターナる前に完成させねば。

カテゴリ: コラム


ということで、今、シン・エヴァンゲリオン観てきました。
うん、まぁ感想はネタバレになるので置いといて、
ここでは僕とエヴァの26年間について語ってみます。

エヴァとの出会いは小学6年生でした。
小学6年生の頃と言ったら・・・ドラクエ6とかクロノトリガーとかやってる頃かな。
漫画はるろ剣が大好きで、アニメはスレイヤーズとか観てた頃でした。
そんな中友人が「暴走」ってワードを使い始めて、「何それ」って聞いたら、
「エヴァ」って。「エヴァ初号機」って。
僕はロボットアニメってそれまで全く興味がなく、
ガンダムもガンバルガーも見たことなかった感じです。
戦隊もあんまり好きじゃなかったんですよね。
どちらかと言うと孤独に戦うメタルヒーローのが好きで、
ロボットのおもちゃなんて1個も持ってなかったですね。
ガンプラも持ってなかったし、ゾイドも持ってなかった。
エヴァは当時はロボットだしよくわかんねって感じで興味示さず。

転機としては中1か中2の時ですね。
深夜帯に再放送していたのを何か録って観てしまったのがきっかけ。
これもたまたま偶然ですね。
当時放送していた「ギ〇ガ〇ッシュナ〇ト」という番組を録画した時に、
何か間違えて録ってしまったのを観てみたら「何だこれは!?」という感じ。
ロボットアニメなのにキリスト教用語がいっぱい出るし、
何か人間模様が複雑だし、「これはただのロボットアニメじゃあねぇな。」
と言う感じで、ここから毎週録画しては視聴していました。
ちょうどその頃、アニメ25話26話のやり直しの劇場版をやりますってことで、
一気にブームに火がついて猫も杓子もエヴァ状態になったんかな。
もちろん「シト新生」と「Airまごころを~」は映画館で2回ずつ観ました。
感想はさておき、これでエヴァが終わったんだなぁと思った中2の夏。
もう映画館に行ってまでアニメは見ないんだろうなあとその時感じましたね。


それから10年。ちょうど社会人1年目のことでした。
「ヱヴァがまた映画になるなんて!」っていう、
嬉しい気持ちの他色々な感情が織り交ざったものの、
しかしエヴァは終わらない物語なんだなと感じた2007年。

エヴァは繰り返す物語と言われています。
乗る→乗らない→やっぱ乗る→乗りたくないの繰り返しや、
心通じ合ったんかと思ったら素っ気なくなって、やっぱり心通じ合ったんかみたいな繰り返し。
積み重ねていっているというよりは一歩進んで二歩下がり、二歩進んでは一歩下がるみたいな繰り返し。
(ループといえばここ一年くらい日テレBSで旧アニメ版が繰り返し繰り返しやっていた。
その後のネルフ第4出張所まで観てて、
この番組がいわゆるテレショップ番組なのですが、
なかなか面白くて好きだな。)

シンエヴァンゲリオンに話を戻すと、
何というか、終わった→始まったで、
ようやく今日また僕の中のエヴァが終わりひと段落。
何でしょうね、この歳になって涙が出るとは。
泣いてるのは、私?ってなりました。
いわゆるエヴァロスなのかもしれませんね。
錦糸町から帰る人達のエヴァロスみたいなものを共有しつつ、またいつかエヴァが始まるのかな。
エヴァは繰り返す物語だから、
いつかまた別のエヴァと会える日を待ってます。





もはや時代はVtuberの時代と言っても過言ではありません。

ということで、御味噌屋もVtuberのアバターを作ってみました。イラスト

そう、御味噌屋制作中のゲーム「NASTURTIUM」の女性キャラでちょちょっと作ってみました。
しかし・・・プリセのみで作るのって難しいですね。
しかし1体あたり10分程度で作れるので絵描くより全然早い。

これはすごい時代になったなあと。
キズナアイに代表されるVtuberというものが市民権を得て、
お茶の間アイドルのように人気者になっていくというこの時代。
これに乗っからない手はないじゃあないか。
ちょっとこのVtuberを使ってなんかやってみようかなと考えてみます。

人間は人と出逢うために生きていると思っています。
では、人生のうちで出逢いと別れの数ってどっちが多いのでしょうか。
答えは簡単で、「出逢いの数=別れの数」となります。
したがってたとえば5000人の友人がいらっしゃる方の場合、
5000回の出逢いと同じく5000回の別れがあります。
これはもうしょうがない。
出逢わなければ別れることはないし、いつか必ず別れが来るものなんだ。
しかるに人生は得やすく失いやすい。「easy come,easy go」です。

でもだからこそ、出逢いと別れは尊く、有り難いものなのかもしれません。
ということで、ゲーム世界での出逢いと別れと言うものを論じます。

人生とは出逢いと別れというこの2つのサイクルに集約されるように、
RPGにおいてもやはり出逢いと別れを楽しむものです。
RPGとは主人公と彼をとりまくキャラとの出逢いと別れの物語に他なりません。
出逢いも別れもエレメンタリィにして最もドラスティックかつドラマティックなイベントですからね。
「この演出がしたかったんだよー。」というのは大抵出逢いか別れでしょう。

しかし我々は知っているッ!
いや、もっとドラスティックでドラマティックなイベントを知っているッ!

それは・・・「再会」です。
別れたはずがもう一度出逢う。これはなんとファンタスティックなことでしょう。
しかし別れとはもう一度出逢う布石でもあるんです。

中国語で「さよなら」は「再見(ツァイツェン)」と言い、
「さよなら」とはまた逢おうという意味なのです。
これは小学校の時の担任が教えてくれたものです。
またイタリアギャングの使う「アリーヴェデルチ」というセリフは「さよならだ」を意味しますが、
グーグル翻訳すると「a rrivederci」は「また逢う」という意味で翻訳されました。
つまり別れとは再会を約束するもの。これは素敵なことです。
しかしRPG世界では素敵なことでは済まされないケースもあります。

一旦抜けたはずの仲間が再び加入する。
これは制作者側としては結構頭を悩ませるイベントだと思います。
何故ならここに装備品とレベルの問題が浮上するからです。
一旦抜けるってことはそこで成長が止まるというもの。
主人公たちは成長しているのに、再会した仲間は抜けた時のまま・・・。
こんなことはRPG界では結構常識なんですけど、
いざ作ってみると結構そのバランスが悩ましいもの。

成長させずに抜けた時のままの状態であれば、
残念ながら再加入してもしばらくは馬車を温めることになります。
「お前・・・今まで何しとったんや・・・。遊んでたんかい・・・。」
という感じになり、抜けていたスパンに依りますがしばらく戦力にならないことになるでしょう。

では再加入時に成長させていたらどうでしょうか。
しかし抜けた時点での状態では弱いと使い物にならないからと言って、
それを安易に成長させるのは賢明とは言えません。
何度もテストプレイを重ねて、主人公たちのおおよその成長度に鑑みて、
大体これくらいの成長をさせておけば問題なかろうと再会時に調整したとしましょう。
しかし仮にも第一線で魔王軍との熾烈な凌ぎ合いを毎日している主人公と、
抜けた人間が同等の成長をしているなんてどんな修行してんのよってなりますw
また抜けた人間だってパーティの一部なんだから、
そいつを成長させる楽しみだってあるのがRPGじゃあないですか。

この状況はマンガ世界だったら再加入時に成長していないとおかしいんですけど、
ことRPG世界に限って言えば再加入時に成長してなくても、
プレイヤーは割とすんなり受け入れてくれるのものなんですね。
なんですねってこともないですけど、再会っていいですよね。


キャプチャ

ということで、制作中のゲームも微調整に微調整を加える日々です。
この「オプション」で「タッチパネル」仕様にしたい設定を加えたいんだけども、
どうしても出来ないから・・・滞ってますw



今日はボス論を。
人は群生動物なので、基本的には群れて生活します。
俺は一人で生きていると思っているのは中学二年生くらいです。
みな誰かと支えあいながら生きています。

このへんはアリやハチやサルなど社会性の高い動物も同じですね。
その中ではボスと呼ばれるえらい人の存在が不可欠です。
アリやハチは女王を頂点としたヒエラルキーが存在しますが、
外見上はカーストのように見えて実はそうではなく、
役割としての女王であるだけで、権威があるわけではなさそうです。
女王は卵を産む役というだけの役割であり、女王がもし死んでも、
働きバチの中からあたいが次の女王やりますって感じですぐに替えがきくとか。

逆にサルなんかはチカラ関係で優位に立つボスがいるように、チカラ社会です。
その集団の中で最強のオスがボスになります。
ボスになればその縄張りの中では一番偉いのでバナナ取ってこいと威張れたりしますが、
当然その集団を外部から守らなければならないので、
やはりチカラだけではなくリーダーシップも必要になります。
みんなからの畏敬の対象でありつつ、慕われもしないといけませんね。
このボスは役割というだけでなく象徴でもあるわけです。
そのボスの存在理由としてはそのリーダーシップでもって集団を正しく導くためです。
つまり集団ありきの集団のためのボスというわけですね。

打って変わってRPG世界には魔王軍というものがあります。
魔王軍の頂点には魔王がおり、強力なリーダーシップでもって世界征服を企図します。
魔王は数多のライバルとの出世競争に勝ち抜いて魔王に成り上がったのでしょうか。
否、魔王は生まれながらにして魔王です。
魔王軍とは魔王が世界征服を円滑に進めるためのものであり、魔王のためのものです。
魔王がその目的を達するために作ったものであり、魔王ありきの集団ということになります。
しかし魔王というのはその有り余る強大なチカラでもって世界征服をすればいいわけで、
部下なんて必要なのでしょうかという疑問があります。
部下とかいらんやんってくらいに強過ぎる魔王にとって部下とはなんのためにいるのでしょう。

るろうに剣心の志々雄真実はスタミナに不安があるため十本刀という部下がいました。
これはある意味合理的です。
また彼は帝王然としたボスらしさを持っていますが、
しかし時折端々に部下へのねぎらいや思いやり?があったりするので、
チカラだけでなくそのカリスマ性でもって人心掌握したボスの中のボスだと言えます。

トライガンのナイブズ=ミリオンズにはガンホーガンズという部下がいました。
ボスであるナイブズが集めたことには変わらないのですが、
どちらかというとボスが組織したというよりもボスに心酔して寄り集まって出来た感があります。
当のボスとしては人間自体を忌み嫌っており、絶滅させたいと思っているので、
その気持ちは部下に対しても例外ではなく、部下も他の人間同様にゴミ同然に思っています。
あまり覚えていませんが、抽象的な命令しか出していなかったように思えます。
こういう上司を持つと部下は命令で動くというよりは忖度で動くことになります。
直接的な命令はないけども、おそらくこういうことをするとボスは喜ぶんだろうな・・・
というイマジネーションがものを言う忖度でもって行動します。
しかし主人公を勝手に殺そうものなら逆にボスの逆鱗に触れることになるので、
勝手は許されずある程度気の利いた忖度が必要となります。
部下としてはちょっとやりにくい感がある上司ですねw

話を戻すと魔王は世界征服を達成するために魔王軍を組織したのであって、
世界征服後にその魔王軍はどうするつもりなのでしょうか。
魔王軍による素晴らしい世界を築くことまで考えているのでしょうか。
そういうことであるならば合理的なのかもしれません。
なぜなら当然魔王にも出来ないことはあるからです。
たとえば金勘定系の仕事は経理に任せたいし、
移動手段の確保やスケジュール管理のために秘書だって欲しい。
魔王に出来ないことを部下に任せるために集団を作るのです。
魔王に出来ないこと。それは戦い以外の面倒な雑務でしょう。
勇者を頂点とする人間世界を征服したならば戦いは必要がなくなります。
その後のことまで考えて魔王軍を組織しているのだからこそ、魔王は有能なのです。

前の時代を壊すことよりも新時代を創る方が何倍も難しいと聞きます。
魔王は来たるべき魔王時代を創るために有能な部下を登用し、魔王軍を率いているのです。

最後にかの名将野村克也監督はこう述べています。

「組織はリーダーの力量以上には伸びない。」

つまりボスはその絶大なチカラやカリスマ性でもって組織を率いるのだけれども、
ボスもまたそこにあぐらをかくのではなく、絶えず成長しなくてはならない。
そうでなければその組織も成長しないのだから。
魔王も常に勉強しないといけないということですね。

少し前だけど、うちを得意先としてる業者さんに新入社員が入ってきたということで挨拶に来られました。
新入社員か〜、懐かしいなあ。10数年前の淡い記憶が蘇る。
で、この御味噌屋はその子に打ち合わせの雑談の中、ちょっとした興味で聞いてみました。
「何で〇〇社に入ったの?」
「保険のプロになりたいからです!」

ちょっとかっこいい。
それ以上は聞かなかったけども、自分なりにこう解釈した。
仕事はなんのためにするのか?
それは当然、その仕事でお金を得て生活するためなのは明白です。
なぜならボランティアではダメなのだからね。または趣味ではダメなわけだ。
だってお金がなければ生きていけないからね。
道を極めたいのなら趣味でもいい気がするけど、
あくまでそこにお金がついてこないといけない。
つまりアマチュアではなく、パフォーマンスの対価が得られるプロフェッショナルでないといけない。
だからプロになりたい。正解です。
生活するためでもあるし、その道を極めたいからでもある。あとはどの会社かは相性の問題。
何でこの会社なのかなんてどうでもいいこと。
人が良かったというのがいちばんの理由でしょう。

よく「やりがいを感じると思ったから」という就活生がいますけど、
やりがいを目的に仕事なんて選んでたら続きまへんでーって思う。
仕事って1つの仕事の中でもたくさん行程があるからね。人によっては全行程にやりがいを感じるかもしれないし、感じられないかもしれない。
しかし言えるのはやりがいのあることばかりではなく、そのほとんどがやりがいのないものだった時に、
あなたはやりがいを感じられなければやらないのか?という疑問が残る。
時に淡々と作業的にこなす仕事もあるし、ひたすら謝ることもあると思う。
プロフェッショナルならばやりがい云々ではなく、
どんな局面でも常に高いパフォーマンスが要求されるもの。
やりがいのある仕事もない仕事も同じパフォーマンスをするにはやりがいという感覚は邪魔になるのでは?
もちろんどんな局面でもやりがい感じる方はいますけどね。

プロフェッショナルになりたいから。すごく突き刺さった。
10個以上下の子に教えてもらいました。
常に高いパフォーマンスを実現しつつ、さらに高みを目指す。
それがプロフェッショナル。褒められても、けなされても、それでも同じ温度で淡々とこなす。
そういうものに、わたしはなりたい。



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